トップページ > 静岡才能人 > 和菓子職人“川井誠太郎さん”
‐祖父の代から続く歴史あるお店で、幼い頃から和菓子に親しんでいたんですよね。
親しむというよりウチで和菓子を作るのが当たり前の風景でしたからね。友だちからは「いいな、毎日食べられるんだろう」ってなんて言われましたけど、そんな毎日食べてた訳ではないですよ。
面白いのが、近所の小学校に通っていたんですが、小学3年生の時、和菓子屋の息子がいるぞって話になって、社会科見学がウチの工場見学になったんですよ。
当時は、店舗での販売はやっていなくて、甘納豆を製造して、卸販売をする大きな工場があったので、そこへ学校のみんなと一緒に来ました。
正直、ウチなんだけどな~って(笑)
‐和菓子屋をされている川井さんの好きなお菓子はなんですか?
もともと大の甘党なんです。もちろん和菓子も好きですが、若い頃は、ピーナッツチョコレートとかアイスクリームが大好きで。
そんな食生活を続けていた時期もあったせいか、実は「通風」になったこともあるんですよ!その時は、足の親指が骨折したかと思うくらい、もう~痛くて痛くて(笑)。幸い、その時は家内が考えてくれた食事療法のおかげで治すことができて、今はチョコレートやアイスクリームを無性に食べたいと思うこともなくなりました。
今では地味で素朴なお菓子が好きですかね。
口に入れるモノの重大さを身をもって体験、実験できたかなと今は思っているんです。だから、ここで作るお菓子に添加物をやめた大きなきっかけにもなりましたね。
‐家業の和菓子屋を継ぐと決めたのはいつですか?
三人兄弟の長男だし、子どもの頃から何となくその気にはなってはいましたけど、はっきりと決意を口に出したのは中学3年の時ですかね。ある日、親父との会話で「おまえ、継ぐのか?」と聞かれて、思わず「はい」と言っちゃって。親父が「あぁそうか…」って。それで決意表明終わり(笑)。 それから、お菓子の専門学校を出て、埼玉のお店で修行して、実家に戻ってきました。
でも、「これが本当に自分がやりたい仕事だったのか?」と自問した時期もありましたね。
正直、店に入っても「隣の芝生が青く見える」んですよ。オートバイが好きなので、バイクのお店に勤めたくなったり、サラリーマンの友だちがうらやましくなったり。
辞めたいと言ったこともあります。
でも、自分が家業を継ぐことを祖母がすごく喜んでくれて。祖父母が築いたお店ですし、おばあちゃん子だったので、その姿を見ちゃうとね(笑)。頑張って継いでいこうと思いました。
‐三代目として、お菓子作りへのこだわりってどんなことですか?
やっぱり食品添加物についてですね。
安全性がよく分かっていないものをお客さんに出して良いのか?と数年前に思って。以前はウチも添加物を使っていたけど、ウチみたいな小さいところが生き残っていくためには大きな所が出来ないことをやろうって思ったんです。
出来ることから少しずつですけど、「安全性に疑問のある添加物は使わない」にこだわりたいと。今までのやり方に対するアンチテーゼみたいな、そんな思いが大きくなって、ここまで来ました。